最終話目前の「俺の家の話」第9話。
弟・踊介、妹・舞、父・寿三郎、寿限無が家を出て半年が経ったところからスタートした第9話。
変わらず、能の稽古とプロレスを続けている寿一。
寿一の殺気を、もはや言葉の悪さ、感じの悪い態度に不満を持ったさくらの家出、お家騒動勃発と、第9話も、観山家を襲う問題は多い。
だが、第9話では、能の世界とプロレスの世界の類似点が垣間見えるので、今回は、ドラマの内容と併せて、プロレス界と照らし合わせてみます。
能という「芸」しか知らない者が一歩外に出たら、ただのフリーターにしかならない
寿限無が戻り、半年間の話をする寿一と寿限無。
能しかやってこなかった寿限無は、能の世界を飛び出して、能しか知らない自分は、外に出たら40才たさのフリーターでしかなかった・・・と寿一に話す。
ちょっとしんみりモードの寿限無の前に、スーパー世阿弥マシンとして寿一が現れ、寿限無を連れて、寿三郎のいる介護老人ホームのイベントに行く。
イベントでは、さんたまプロレスのレスラーが入居者を持ち上げるシーンがあるが、そこで寿一はもちろん寿三郎を持ち上げる。
ここでの掛け声は、「肝っ玉、しこたま、さんたま」だが、このテンポはアントニオ猪木の1・2・3ダーを思わせる。
寿三郎が、世阿弥マシンに体に気を付けて頑張ってくださいね、と声をかけるが、きっと寿三郎は寿一だと気づいているんだろうなと思わせる、微笑ましいシーンでもあった。
プ女子は絶対に選ばない「薄っぺらいお父さん」に無理を連発するさくらは、やっぱり寿一が一番?
寿一の頭の中は、プロレスと能のことだけ、自分のことなんて2ギガくらいしかない。と愚痴をこぼすため、元妻・ゆかの元を訪れる。
子どもが生まれたばかりのゆかと子どものために、育休を取り、家事も子育てもなんでもやってくれる「薄っぺらいお父さん」を目の当たりにしたさくらは、人の旦那なら羨ましいけど、自分には絶対無理、感じが悪くても、能とプロレスのことしか考えていなくても、やっぱる寿一がいいと言い出す。
プ女子がプロレスが好きで、プロレスラーが好きな理由は、試合で非日常を感じることができることに加え、たくましく、男らしさと、優しさを感じるからだと思う。
だとしたら、もちろん「薄っぺらいお父さん」に惚れるわけはないのだ。
そこで、さくらは家族旅行の写真を寿一に見せ、金持ちでも明るい、温かい観山家に戻すため、全員を呼び戻すよう寿一に告げる。
そんな中、弟・踊介は寿三郎のことで雑誌の記者に取材を受ける。
総資産6億円の人間国宝の宗家跡取り問題が記事になり、テレビでも放送される。
そこへやってきたのは、観山家分家の面々だった。
家族が戻りかけた観山家に宗家争いで、観山家分裂の危機?
雑誌、ニュースで話題になっている寿三郎の宗家跡取り問題。
そこへ、観山家の分家のおじさまたちが勢ぞろいし、寿一に”バカ息子””恥さらし”などの言葉を浴びせる。
寿一には宗家を諦めるよう伝えるが、寿限無が反対すると、分家のおじさまたちは新観山家を作るしかないと提案する。
しかも、能の才能、センスの全くない弟・踊介を宗家に据えるというのだ。
ここで、寿一が観山家にはバカ息子とバカ娘しかいないが、それを言っていいのは親父だけだと、言い放つと、分家のおじさまたちは、一度退散していった。
プロレス界も、もともとは日本プロレスという1つの団体だった。
だが、プロレスの方向性の違いや、裏切りなど様々なことが起こり、ジャイアント馬場率いる「全日本プロレス」と、アントニオ猪木率いる「新日本プロレス」とに分かれた。
そこから、派生していろいろな団体が旗揚げしては、消えたり、今現在も継承されている団体があったりと、「芸」の家のお家騒動に似ていると思った。
「俺の家の話」では、結局分裂することはなく、寿一が宗家になる方向で話は進んでいく。
お前には継がせないと言われた言葉が、寿一の心にひっかり、ついには寿三郎の亡霊が現れる?
寿限無との稽古中に寿三郎の亡霊を見る寿一の心には、”お前には継がせない”と言った寿三郎の真意がわからないままであること、自分ではいけない理由がわからないことが引っかかっている。
そこへ、寿三郎が介護老人ホームを抜けて、観山家に戻ってくる。
亡霊かと思って話しかける寿一に、寿三郎から「家、家にあらず。継ぐをもって家とす」という世阿弥の言葉を告げられる。
家はただ継ぐものではない、継承をもって家とするという意味が込められている。
そう話しながら、介護老人ホームには帰りたくないと言い始め、寿一が挑む世阿弥の隅田川について話し始めた寿三郎。
隅田川で死んだ息子を登場させるか、させないかを世阿弥と、世阿弥の息子である元雅と論争になった。作者の元雅は登場させた方が、観客に伝わると言ったが、世阿弥は登場させずに、芸で死んだ息子がそこにいるように観客に感じさせるのが能だ。という話だった。
こういうところは、プロレスにも似ている。
プロレスは、技で観客を沸かせ、夢中にさせる、目に見える部分が多いが、その裏側には対する相手へのライバル心や、因縁、闘争心などが見え隠れする、
だが、それはずっとプロレスを観ているからこそわかる場合もあれば、プロレスを観ていなくても、プロレスラーのぶつかり合いから察知することもできるのだ。
それが、世阿弥が実際に目に見えなくても、観客に感じさせると言っている部分なのかもしれない。
寿三郎から、世阿弥と息子・元雅の論争を聞いた寿一は、オレは出るなと言われても親父の前に現れてやると伝えると、能舞台を前に大の字になって横になる寿三郎は笑っている。
まさかの脳梗塞発症で急展開を迎える観山家と、なぜか寿三郎の見舞いに長州力が・・・
大の字になった寿三郎は、ろれつが回らなくなり、脳梗塞を発症していることがわかり、在宅医療がスタートするという急展開に。
寿三郎のベッドを囲む観山一家。
実は妹・舞も、息子を介護老人ホームにラーメンの出張デリバリーとして行かせていたり、弟・踊介は相続、金銭面の話をするため、週末は寿三郎の元を訪れていたことが発覚する。
なによりも、寿三郎自身が、自宅で家族に囲まれて逝きたいと願っていることが分かった瞬間だ。
そんな観山家に緊迫感が漂い始めたころ、寿一は冷静に、寿三郎の葬儀の段取りを始める。
寿一とのエンディングノートつくりで決めていた、葬儀の場所などをもとに葬儀屋と話を進めるが、戒名を決めていなかったことに気づく。
無理とわかっていても、寿三郎と話せるかと部屋に行くと、なぜかさんたまプロレスの選手、社長、そして長州力がいることに、全員唖然としつつ、本物だと喜んでいる。
戒名は、長州力が考え、あっさりと決まったはいいが、寿三郎の心拍数が下がり始め、またもや緊迫感が続く。
ついに明かされるスーパー世阿弥マシンの正体
分家のおじさまたちが、別れを告げようと観山家に集まっている。
初めて寿三郎が座っていた場所に座った寿一は、世阿弥の言葉を思い出す。
「離見の見」自分自身のことを離れたところから見る心をもちなさいというものだ。
そして、寿一はスーパー世阿弥マシンの姿で、寿三郎の部屋に現れ、マスクを外して正体を明かす。
ところが、実はほぼ全員気づいていたことを知った、寿一は、寿三郎の耳元で介護老人ホームを訪れたときの掛け声「肝っ玉、しこたま、さんたま」を繰り返す。
何度も何度も繰り返すうちに、寿三郎の片腕が上がり、さんたまとかすれた声で言っている寿三郎の姿に、全員で「肝っ玉、しこたま、さんたま」を大合唱する。
たった一度の奇跡が起こり、寿三郎は元気になった。
ベッド脇で寿一が「肝っ玉、しこたま、さんたま」と掛け声をかけるときに、みなさん心の中でご唱和くださいというが、これは、新日本プロレス L・I・Jの内藤哲也が、メインイベントで勝利をしたときに、ファンに向けて放つ言葉に似ている。
コロナ禍で、試合中も掛け声、歓声を上げることができなくなってから、内藤哲也は勝利をしたときに、ファンに向かってリング上から、みなさん心の中でご唱和くださいと伝えるようになったのだ。
そうして、元気になった寿三郎と「肝っ玉、しこたま、さんたま」と一緒に叫んだ寿一は、引退試合でもある2021年12月31日の年末試合に向かう。
この試合の相手は、ホセ・カルロス・ゴンザレス・サンホセJrだ。
第8話で、スーパー世阿弥マシンとの対戦が、寿一のアキレス腱断裂で叶わなかった試合が、第9話で再び登場したのは、プロレスっぽさを感じる。
さらに、長州力が「レスラーは何回引退しても、何回も復帰すればいいんだ」と、このセリフを長州力のセリフにするあたりは、粋な感じがする。
さらに、スーパー世阿弥マシンの決めポーズは、武藤敬司のポーズを思わせるところが、思い切りプロレスを感じさせるのではなく、これって、もしかして?と似ているような・・・似ていないような・・・と想像できるのは、能と、介護という内容の中に、ちょっとしたスパイスが加わっているように感じる。
世阿弥の隅田川のあらすじ
春の夕暮れ時、武蔵の国隅田川の渡し場で、舟頭が最終の舟を出そうとしていると旅人が現れ、女物狂がやってくると告げました。女は都北白河に住んでいましたが、わが子が人買いにさらわれたために心が狂乱し、息子をさがしにはるばるこの地まで来たのでした。舟頭が、狂女に、舟に乗りたければ面白く狂って見せろ、と言うので、女は『伊勢物語』九段の「都鳥(みやこどり)」の古歌を引き、自分と在原業平(ありわらのなりひら)とを巧みに引き比べて、船頭ほか周囲を感心させ、舟に乗り込むことができました。
川を渡しながら、舟頭は一年前の今日、三月十五日に対岸下総(しもうさ)の川岸で亡くなった子ども、梅若丸の話を物語り、皆も一周忌の供養に加わってくれと頼みます。舟が対岸に着き、みな下船しても、狂女は降りようとせず泣いています。船頭が訳を尋ねると、先ほどの話の子は、わが子だというのです。
舟頭は狂女に同情し、手助けして梅若丸の塚に案内し、大念仏で一緒に弔うよう勧めます。夜の大念仏で、狂女が母として、鉦鼓(しょうこ)を鳴らし、念仏を唱え弔っていると、塚の内から梅若丸の亡霊が現れます。抱きしめようと近寄ると、幻は腕をすり抜け、母の悲しみは一層増すばかり。やがて東の空が白み始め、夜明けと共に亡霊の姿も消え、母は、ただ草ぼうぼうの塚で涙にむせぶのでした。
引用元:the能.Com https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_012.htmlより
ドラマの中で寿一が読んでいた本「風姿花伝」とは
『風姿花伝』は能の大成者・世阿弥が著した、日本最古の能楽論である。『花伝書』の名称でも知られる本書は、「花」と「幽玄」をキーワードに、日本人にとっての美を深く探求。体系立った理論、美しく含蓄のある言葉、彫琢された名文で構成される、世界にも稀な芸術家自身による汎芸術論である。
引用元:アマゾン・プロモーションより
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