「俺の家の話」第10・最終話 長瀬智也最後のドラマにぴったりの最終話。でもこんな設定ありですか?

いよいよ最終話。

はじまりは、いつも変わらぬ観山家の朝食風景からのスタート。

そう、いつもと変わらない・・・?

そう思って物語が進んでいくと、なんだか違和感が生まれてきます。

これって?さっきまで会ってたのに何でこんなの見てるの?そんな疑問と違和感と、そして・・・。

まさかの展開に最後は号泣で終わった「俺の家の話」第10・最終話でした。

スーパー世阿弥マシン無様な引退試合に家族総出で気を遣う朝食時間

最終話のスタートは、松前漬けなどお正月を思わせる、家族のだんらん風景。

寿三郎も第9話のラストで、スーパー世阿弥マシンから元気をもらい、奇跡的に復活し、生きている。

ちょっと、ホッとしたような気持ちで、進行していく。

元妻・ゆかが観山家に気軽に立ち寄るようになったり、寿一の息子・秀生も能の稽古を続けている。

無造作に置かれている寿三郎の遺言状を、うっかり開けちゃったことを装って、内容を確認するさくらと、寿一の妹・舞、そして、顧問弁護士でもある寿一の弟・踊介の3人。

遺産は、寿一、寿限無、踊介、舞で4棟分など、この辺りは、一般的な遺言状内容だろう。

そして、誰もが気になるのは、観山家宗家の座は誰なのか?というところ。

ドラマの運び的には、やっぱり寿一だろうと思うのは誰もが同じだったと思います。

介護の終わりを感じる瞬間に思うことは?寿一はどう思ったのだろう?

寿限無、踊介、舞の3人は、危篤状態の寿三郎を囲んだ時、内心ホッとしたと言い始める舞。

悲しんでいるのと、ホッとしているのと自分の中に生まれる葛藤、罪悪感。

でも、現実はまだまだ続く介護生活を、言いたいことを言い合って、乗り越えようと決意する3人。

ここで、踊介が寿一はそんなことを思わなかったんだろうな・・・と言うあたりは、介護の現実を実感させられる。

悲しみと、ホッとした安心感は紙一重なのかもしれないと思います。

でも、ここからがちょっと???と思うシーンが続いてくる。

さくらが、以前寿一が寿三郎に残した動画メッセージを、街中でひっそりと見ている。

なんで、いまこの動画を見ているのか?

まさか寿三郎ではなく、寿一だったとは・・・驚愕の事実が明らかに!

奇跡的に復活した寿三郎は、新春能楽会で3年ぶりに舞台に上がる。

観山家宗家としての挨拶では、3度の脳梗塞で倒れたけれど、3年ぶりの舞台に復帰することを伝える。

長い闘病生活で、観山寿三郎を奮い立たせたのは、世阿弥だった。

初めてプロレス観戦に行ったときに観たスーパー世阿弥マシンの試合があったからこそ、自分を奮い立たせ、やってこれたのだ。

世阿弥の教えで、初心に返ることができたと語る寿三郎を見て、現実にもプロレスは元気をくれるし、日常を忘れさせてくれることが多いのは、寿三郎のように、自分の中に眠っている魂に灯りを灯していると思う。

そんな中、寿一の姿が見えないことで、一気に後半へのスピードが上がる。

たしかに、寿三郎には寿一が見えている。

だが、新春能楽会の会場には寿一の姿がない、周りからはご愁傷さまと声をかけられ、息子や娘に探して来いと言っても、だれも動こうとしない。

そんな時に、口を開いたのは、さくらだった。

そう、寿一はすでに、この世にいないという事実がここで発覚する。

プロレスは元気をくれるが、危険と背合わせであることをドラマの中で描くすごさに感動

多くのドラマは、主人公が死ぬ場合でもなんとなくキレイな終焉を描くことが多いように思う。

でも、このドラマのすごいところは、全てにおいてリアルさを感じきれるところだと思う。

寿一は、スーパー世阿弥マシンの引退試合の最中に、意識がもうろうとなり、緊急搬送された病院で息を引き取った。

プロレスでは、三沢光晴や、高山善廣などが実際の試合中に技によって意識がもうろうとなったり、意識をなくし病院に搬送されることがあった。

三沢光晴は、この世を旅立っているが、高山善廣は長い間、病院で治療を続けている。

だんだんと回復してきている姿は、ツイッターなどで観ることができる。

新日本プロレス・高橋ヒロムは現在欠場中だが、けがをしたころには、プロレスは怖い、いつ何があるかわからないと語っていたことがある。

今回の「俺の家の話」第10・最終話で、描かれていることが実際に起こりえることを再認識させられたのだ。

寿三郎と寿一 絆が深いほど受け入れられないことがある 介護の行く末

寿三郎と寿一。

1話から介護を通して、親子の関係を修復したり、築いてきた。

だからこそ、絆が深く深くなっていたことを感じていたのだ。

周りの家族や分家の人たちは、寿一の死を受け入れている中で、寿三郎と寿一だけが受け入れることができていなかった。

第10・最終話の始まりのシーンは、リアルにその思いを描いている。

誰にも見えなくても、寿三郎には見えている寿一の姿。

お互いを思うからこそ、見えている寿一に言葉をかけ、能の稽古をし、新春能楽会で能を舞うのは寿一だと言葉にしてしまう。

自分には見えているはずなのに、どこにもいない寿一を追い求める寿三郎の気持ちが痛いほど伝わってくる。

それでも、現実は進んでいき、寿限無が寿一の代役として能を舞う。 

その舞台をバックに、寿三郎と寿一の思っているけど、伝えられないこと。

思っていたけど、抑えていたこと、誉めたかったけど誉めることで終わってしまいそうという不安、感謝をしているのに伝えきれていなかったことといった、お互いの腹の底をぶつけ合うことができた。

そう、全てを伝えきったとき、寿三郎と寿一はようやく、死という現実を受け入れる。

介護をしている人、介護をしていた人にとっては、自分はどうだっただろう?

自分は伝えきれただろうか?いろいろな言葉を自分に向けて投げかけたのではないだろうか。

それでも最後は、長州力のボケで幕を閉じた?

しんみりとしすぎない「俺の家の話」第10・最終話は、最高にいい。

葬儀のシーンでも、さんたまプロレスのメンバーが言葉をかけるシーンがある。

最初は長州力の運転手だったというエピソードは、実際にもある話だったりするし、長州力の入場曲が中央線のアナウンスに似ているなんて、ボケは、誰でもなく長州力だからこそ、現実味があるボケだなと思う。

祭壇も、正面に遺影、右にスーパー世阿弥マシンのマスク、左にスーパー世阿弥マシンのコスチュームと、プロレスラーの葬儀らしいと感じる。

献花はリアルで、蝶野正洋や武藤敬司、DDTプロレス、さんたまプロレス、そして阿部サダヲ演じた潤沢など、1話からのシーンを思い出すことができましたね。

さらに、プロレスあるあるだなと思ったのは、スーパー世阿弥マシン2号が誕生したこと。

プリティ花が、能の稽古を受け、体幹を鍛えるところから始まり、実はスーパー世阿弥マシン2号になる。

こんなところは、プロレスらしさを感じられる(笑)

そして、何よりも宮藤官九郎から、長瀬智也への思いを感じるドラマだった。

このドラマを最後に裏方に徹すると決めていた長瀬智也。

ドラマには続編があるもの、映画化されるものという概念が、当たり前になっているいま。

このまま、もし、スーパー世阿弥マシンである寿一が生きていれば、そのような展開の話は浮かんでくると思う。

だけど、長瀬智也の意志を尊重するため、敢えて寿三郎ではなく、寿一が死んでしまうという設定に、わたしは、宮藤官九郎の愛を感じたのだ。

ただ、第10・最終話を見終わった瞬間、「俺の家の話」最高。

もう後半、寿一の死がわかった瞬間から涙線が緩み始め、新春能楽会の傍らでの寿三郎と寿一のやりとりを見ている間は、もう号泣ですよ、号泣。

そして、最後にさくらのことも忘れないあたりが、最高にいい!

墓前で、ようやく明かされた、寿三郎の遺言書に書かれた観山家宗家は観山寿一と書かれている。

その遺言書を墓前に添えるさくらの前に、スーパー世阿弥マシンとして寿一が現れ、「俺の家を頼む」を伝える。

こんなシーンがちゃんとある、この細やかさがまた嬉しい。

そして、さらには、弟・踊介とさくらがなぜか結婚してしまうという、まさかまさかの落ちに、号泣後の大爆笑をした人は多かったと思います。

介護というテーマを、現実としてとらえながら、様々な人間模様、感情、しがらみなど、自然に感じることを、受け取りやすい表現で、伝えてくれている「俺の家の話」は、最高だったな。

本当に、最後はこの一言に尽きる。としか、いまは言えない。

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