2月19日は「プロレスの日」雑学 由来

プ女子のプロレスメディア 萌エル闘魂 つくりんです。

2月19日は「プロレスの日」です。7月30日は「プロレス記念日」。

今回は「プロレスの日」の由来などをお伝えします。

プロレス初心者、最近プロレスに興味があるという人が”なんで?”と思うようなお話を書いていきたいと思っています。

2月19日「プロレスの日」の由来

どうして、2月19日が「プロレスの日」なのでしょうか。

それは1954年(昭和29年)2月19日に、日本で初めて本格的なプロレスの国際試合が東京・蔵前国技館で開催されたことから、2月19日は「プロレスの日」になりました。

2月19日「プロレスの日」に試合をした人は誰?

日本で本格的なプロレスが行われた「プロレスの日」に試合をしたプロレスラーは力道山(りきどうざん)・柔道出身の木村政彦(きむら まさひこ)です。

力道山と木村政彦がタッグを組んで、カナダ出身でアメリカから来日したシャープ兄弟とNWA世界タッグ戦を行いました。

2月19日「プロレスの日」東京・蔵前国技館力道山・木村vsシャープ兄弟の試合放送 街頭テレビで2万人の群衆を集めた

当時は、テレビはまだまだ高級品だったため一家に一台テレビがある現代と違い、テレビのない家庭は街頭テレビで放送をみることもありました。

当日の試合は、日本テレビとNHKで同時中継され、新橋駅西口広場の街頭テレビには2万人の群集が押し寄せたという話もあります。

試合の結果は、初来日で5回対戦、王座を保持したまま帰国しました。

2月19日「プロレスの日」力道山 力士からプロレスラーへ転身

力道山は、元々プロレスラーではなく、大相撲の力士でした。

身長176cm、体重116kg。日本プロレス協会の設立者。

外国人レスラーを空手チョップで次々と倒す姿に人気が集まり、素行の面では色々と問題はあったものの、プロレスラーとしては比類のないスター性とカリスマ性を備えていた。

日本のプロレス界の礎を築いた最大の功労者で「日本プロレス界の父」と呼ばれています。

リングネーム力道山
本名戸籍名・日本名:百田 光浩
(旧名・朝鮮名:金 信洛)
ニックネーム日本プロレス界の父
身長176 cm
体重116 kg
誕生日1924年11月14日 (諸説あり)
死亡日1963年12月15日(39歳没)
出身地 日本統治下朝鮮咸鏡南道洪原郡新豊里
所属日本プロレス
スポーツ歴大相撲
トレーナーボビー・ブランズ
ハロルド坂田
沖識名
デビュー1951年10月28日
引用元:Wikipedia

2月19日「プロレスの日」力道山の墓所

力道山は東京・大田区池上本門寺に墓所がある。

墓所には力道山の銅像が置かれています。

私も一度訪れたことがありますが、銅像からも力士でありプロレスラーであった力道山の強さを感じたのを今でも覚えています。

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