プロレスラー名言・決めセリフ 前田日明編

萌エル闘魂 つくりんです。

プロレスラーが放つ言葉に、名言と言われるものも多い。

その言葉の持ち主として、今回お伝えするのは、THE OUTSIDER(ジ・アウトサイダー)で、朝倉未来や朝倉海を世に送り出したことでも知られる、前田日明の言葉をお伝えします。

プロレスラー名言 前田日明編「選ばれし者の恍惚と不安、我に二つあり」

選ばれし者の恍惚と不安、我に二つあり

この言葉は、1988年5月12日の後楽園ホールで前田日明が、新生UWF旗揚げの挨拶で話した言葉です。

この言葉から始まったUWF独自のスタイルが人気を集めた。

UWFとは

UWF(ユー・ダブリュー・エフ)は、かつて存在した日本プロレス団体。正式名称はユニバーサル・レスリング・フェデレーション、ユニバーサル・レスリング連盟1985年9月に活動休止した第1次と、1988年4月に旗揚げし1991年1月に解散した第2次の2期に分かれる。

引用元:Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/UWF)

プロレスラー名言 前田日明編「どうせやるなら誰が一番強いか決めればいいんだ」

どうせやるなら誰が一番強いか決めればいいんだ

この言葉は、1987年6月12日 第5回IWGPシリーズで、長州力がアントニオ猪木に宣戦布告をしたときに、前田日明が、世代闘争を促した長州力に向かって言い放ったことで、ファンからは喝さいを浴びたひと言。

プロレスラー名言 前田日明編 「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか」

アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか

この言葉は、1986年2月6日の両国国技館で、アントニオ猪木vs藤原喜明の対戦中、アントニオ猪木が藤原の下腹部に蹴りを直撃させ、アントニオ猪木が勝利した時に、リングの飛び込んだ前田日明がアントニオ猪木にハイキックを見舞った時に、怒りを爆発させながら発したひと言。

元・プロレスラー 前田日明について

昭和からプロレスファンの人は、知らない人はいないでしょう。

現在でも、ユーチューブなどの視聴回数はかなりの視聴回数を集めるほどの前田日明。

前田 日明(まえだ あきら) 元在日韓国人で、韓国名は高 日明(コ・イルミョン、고일명)

生年月日:1959年1月24日

出身地:1983年日本に帰化している。大阪府大阪市大正区出身。

日本の総合格闘技プロモーターであり、元プロレスラーであり、格闘家、リングスCEO、THE OUTSIDERプロデューサー。

前田日明チャンネル
「前田日明チャンネル」。博学、多趣味、最強の肉体と志を持つ格闘王—その奥深き魅力と新たなる一面を、時にゲストを迎え、時に街に繰り出し、余すことなくお届けします。

元・プロレスラー 前田日明 の少年~高校時代

少年時代は特撮テレビドラマ「ウルトラマン」に熱中し、1967年4月9日に放送された最終話「さらばウルトラマン」の作中でウルトラマンがゼットンに倒されたシーンを見て、ゼットンを倒し、ウルトラマンの仇を討つために、少林寺拳法を習い始め、小学生で初段を取得している。

現在の体格からは、イメージしにくいですが、なんとも純粋でかわいい理由で少林寺拳法を習ったんですね。

高校時代には、空手とバイクに熱中していた。

空手は、無想館拳心道館長の岩崎孝二から学び、二段を取得、極真空手の大山倍達の弟子たちのように、アメリカで空手の道場を開きたいという夢も持っていたという。

大きな夢を持っていた前田は、大学受験に失敗し、アメリカに行くために、運送関係を中心にアルバイトに明け暮れていた。

元・プロレスラー 前田日明 が新日本プロレスに入団したきっかけは初代タイガーマスク 佐山聡

前田日明が新日本プロレスに入団したきっかけは、1977年に初代タイガーマスク・佐山聡にスカウトされて入団した。

デビュー戦は、1978年8月25日長岡市厚生会館で山本小鉄戦。

多くのプロレスラーは、アントニオ猪木に憧れて入団するが、前田日明は、新間寿に、モハメド・アリのジムと提携してるので一緒のジムに入ってボクシングのヘビー級チャンピオンも目指せると、実際は提携のない、だまし討ちに遭ったような形で入団となった。

そこに惹かれたのは、アメリカで空手の道場を開きたいという大きな夢のために、運送関係のアルバイトを中心に、お金をためていた前田にとっては、お金を貯めなくてもアメリカに行けると考えていたこともあるでしょう。

元・プロレスラー 前田日明 第1次UWFへ移籍

1984年2月29日の練習を最後に、新日本プロレスを離脱。

その後、WWF会長・新間寿の仲介で、3月にはWWFに遠征している。

1984年3月25日には、ニューヨーク マディソン・スクエア・ガーデンで、カナダのピエール・ラファエルを破り、新設されたWWFインターナショナル・ヘビー級王座を獲得している。

ベルトには「UWF」の文字が中央に大きく施されており、前田は第1次UWFへの移籍を表明している。

元・プロレスラー 前田日明 新日本プロレスと業務提携で新日本プロレスに復帰

1985年12月6日 藤原、木戸修、高田伸彦、山崎一夫らと共に業務提携という形で、新日本プロレスに復帰した時に、リング上で「1年半UWFとしてやってきたことが何であるか確かめに来ました」とマイクアピールをした。

元・プロレスラー 前田日明 第2次UWF 旗上げから2年半で解散

1988年5月12日に後楽園ホールで「STARTING OVER」と銘打ち旗揚げ戦を行ったが、その後、UWF社長の神新二との間で、神社長が、会社の株式の無断の独占問題と不明朗な経理で問題が発生し、選手間でも不協和音が飛び交い、やむを得ず前田は解散を宣言し、第二次UWFは隆盛を極めながらも、活動期間僅か2年8ケ月という短い歴史で、幕を閉じた。

元・プロレスラー 前田日明 リングス設立するも、前十字靭帯の断裂、側副靭帯損傷で長期欠場

1991年春、第2次UWF解散後、リングスを設立し、5月11日には、横浜アリーナで旗揚げ戦を行った。

第2戦前の練習で、前十字靭帯の断裂、側副靭帯損傷し、手術後、長期欠場することになった。

1999年2月21日、前田日明の引退試合として、ロシアの英雄であるアレクサンダー・カレリンと対戦し、判定(ポイント)で負けてしまった。

WOWOWで放映されていたリングスだが、 WOWOW での放映打ち切り決定によって、2002年に活動停止となった。

元・プロレスラー 前田日明 新プロレスイベントビッグマウスにスーパーバイザーとして参画

2005年には、元・新日本プロレス上井文彦が旗揚げした、新プロレスイベントビッグマウスにスーパーバイザーとして参画し、船木誠勝と和解した。

2006年2月26日には、新生ビッグマウス・ラウド旗揚げ記念大会の徳島興行で、前田日明は船木と共にビッグマウス・ラウドを脱退している。

脱退の理由は、上井の会社資金の横領の露見や、資金難による団体所属選手、社員の給与未払い、道場を用意しようとしなかったなど、上井の資金の使い込みをめぐる確執があり、1年いたかいないかで、脱退となったようです。

昭和時代のプロレス団体は、このような資金がらみの問題が多かったですね。

ビッグマウスは、プロレスプロモーター上井文彦がかつて興した企業。

プロレス団体・「ビッグマウス・ラウド」を傘下としていた。

ビッグマウス・ラウドは、かつて存在した日本のプロレス団体。ビッグマウスの関連会社。

引用元:Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%82%B9)

元・プロレスラー 前田日明 K-1との提携「HERO’S」スーパーバイザーとして参加

ビッグマウスとK-1との提携で「HERO’S」(総合格闘技イベント)の発足時からスーパーバイザーとして参加している。

2008年2月15日には「THE OUTSIDER」の記者会見を開き、HERO’Sの解消に伴い、スーパーバイザーを降板している。

Rings // リングス公式サイト / RINGS OFFICIAL WEBSITE
RINGS(リングス)公式サイトでは、最新ニュースから、概要、前田日明の写真などここでしか見られないアイテムが満載。世界最強の男はリングスが決める。

元・プロレスラー 前田日明 アマチュアの格闘技大会「THE OUTSIDER」立ち上げ

2008年1月21日にRINGS公式サイトで、不良などを主な対象として集めた、アマチュアの格闘技大会「THE OUTSIDER」を立ち上げ、3月30日にディファ有明において旗揚げ大会を開催。

朝倉未来、朝倉海は、現在ではRIZINに出場しているが、元は THE OUTSIDER で前田日明に発掘され、その後メキメキと兄弟そろって、頭角を現している。

THE OUTSIDER(ジ・アウトサイダー)は、前田日明がプロデュースするセミプロ~アマチュア選手育成のための総合格闘技大会。

競技制のみを追求した普通のアマ大会とは異なり、日本中から「暴走族チーマーギャングのリーダー、腕自慢」を集め、いわゆる「不良」の若者に格闘技を通じた更正の道を用意し、メジャー団体を含めた大会へと進む優秀な選手を育成することを目標にする[1]

キャッチコピーは、「不良達ヨ、覚醒セヨ」。

主催はリングス

引用元:Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_OUTSIDER)

元・プロレスラー 前田日明の趣味

前田日明の趣味と言えば、パイプとすぐに浮かぶほど、ユーチューブでもパイプの煙をくゆらせているイメージが強い。

だが、パイプ以外にも、釣り好きのため、釣りを楽しむために小型船舶を所有していたり、ポルノから哲学、戦記物まで読むというほど読書好きでもある。

特に、太宰治、孔子の論語に傾倒していて、第2次UWFを旗揚げした際の「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり」という言葉は、太宰治が「葉」(「晩年」所収)で引用した、ポール・ヴェルレーヌの「叡智(Sagesse)」の言葉を用いて挨拶を行った。

他には、日本刀は50振以上所有するほどの収集と研究に加え、以前オーラの泉に出演した時に、骨董品を見て回るのが好きとも話していた。

他にも、子供はパイロットにしたいとコメントするほどの航空機好きでもあり、夢は零式艦上戦闘機で太平洋を横断することとも語っているのだ。

以前、テレビ番組「所萬遊記」に出演した時には、「一緒にムスタングに乗りましょう」と、所ジョージを誘うこともあった。

また、元帝国海軍中尉・エースパイロットの坂井三郎を慕っていることから対談もおこなったこともある。

さらに、熱烈なマッキントッシュファンで、数10MBが主流の時代に1,000MBを超えるメモリーを搭載したMacを使っており、Mac専門誌で取材されたこともあるほど。

サバイバルゲーム – M4カービンのカスタムなどのゲームも、本気モード全開で楽しんでいるようです。

前田日明自身が、ショップまで出向き銃などの装備品を購入したり、米軍放出品等こだわりを持って購入しているともある。

ゲームフィールドが開催する定例会等にも、THE OUTSIDERの選手や関係者と参加して、一緒にゲームを楽しめたりすることもあるようです。

https://twitter.com/AkiraMaedaWORLD?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

私は、実際に前田日明さんが試合をしている全盛期には、まだプロレスを観ていなかったので、当時のことは、プロレスを好きになってから、少しずつ知っていっている感じですが、前田さんのユーチューブなどの話を聞いていると、ハッキリ、すっぱりと、言いたいことを言っているなと感じています。

聞いていて気持ちがいいと思うほど、オブラートに包まずに話していることも多い印象があります。

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