6/18放送 新日ちゃん。ありがとう真壁パイセン企画で貴重な真壁刀義・棚橋弘至・矢野通のヤングライオンスタイルが見れる

2021.6.18放送の新日ちゃん。は、”本当にありがとう真壁パイセン”と題して、親交21年の棚橋弘至と親交19年の矢野通をゲストに迎えて、真壁刀義の魅力を深堀している。

いまや、プロレスラーの暴走キングコング・真壁刀義よりも、スイーツ大好きプロレスラー・スイーツ真壁のイメージが強くなってきている。

強面の真壁刀義だからこそ、スイーツ大好きというギャップが、元々に人気に拍車をかけているように思う。

今回は、真壁刀義パイセンに、ちょっとおちょくりながらも感謝の手紙を読み上げる棚橋弘至と矢野通の言葉に注目したい。

真壁刀義と矢野通の初めての出会いは衝撃すぎ?

矢野通といえば、アマチュアレスリングで名を挙げている有名選手でもある。

その矢野通が、真壁刀義と初めて会ったのは、食事会(飲み)の席だった。

入ったばかりの矢野通は、どうしたらいいのかわからず、右往左往していた。

そこに、真壁刀義から一撃の一言が放たれた「てめぇ、でかい声で挨拶しろよ」

初対面でこの一言は、怖さも手伝ってかなり衝撃だったと話している。

それからは、真壁刀義=怖い・うわーと思うほどイヤな存在だったらしい。

真壁刀義と矢野通の再開は、それから2年ほど経った、真壁刀義の凱旋ご食事会だった。

真壁刀義がいる、そう思うだけでうわーイヤだな・・・そんな気持ちだった矢野通は、その場で以前の真壁刀義とは全く違う印象を受けることになる。

初対面の怖いパイセン・真壁刀義ではなく、とても気さくな真壁刀義が目の前に登場した。

そのときは、ハッ💖と心を撫でおろしたと話している。

パイセンであるからこそ、最初は厳しく!そんなことを真壁刀義は思っていたのだろうか?

真壁刀義と棚橋弘至の出会いは変な奴いるな!そんな思いだったのでは?

棚橋弘至が真壁刀義と初めて出会ったのは、G1クライマックスの打ち上げの席。

ファンとして参加していた棚橋弘至は、そのころから鍛えていた自身の肉体をアピールしたくてタンクトップで、自分の筋肉アピールをしていたらしい。

真壁刀義は、その当時のことを覚えてくれた上に、新日本プロレス入団時の履歴書に、棚橋弘至が自己PRとして書いた、”感じたら走り出せ!”と書いていたことも覚えていたという。

履歴書に書いたことを覚えていてくれたことから、真壁刀義の初対面の印象は、「記憶力」がいい人だったと話している。

真壁刀義曰く、履歴書に筋トレなどを書く人は多いが、”感じたら走り出せ!”なんて書く奴いないだろ?と話している。

そうは言っても、真壁刀義が後輩を気に懸けていることが受け取れる。

新日本プロレスの入門テストは何回まで受けられる?

棚橋弘至の履歴書から、新日本プロレスの入門テストの話に少しだけ移行する。

入門テストは、宝塚のように何回までと決まっているのか?という三谷アナが質問をすると、特に決まりはないが、入門条件として、「18歳以上~23歳以下、身長180cm以上の健康な男子」であれば、誰でも入門テストを受けることができるという。

ここで、三谷アナが自分はもう入門テストを受けられないと告げると、そのまっすぐな視線を間に受けた真壁刀義は、本当に入りたかったの?と答えてしまう。

危うく、受けてもいいよと言いそうになった(笑)と、真壁刀義の優しさが垣間見える。

棚橋弘至は、3回目の入門テストで入っているし、他にも身長が足りないが新日本プロレスに入りたいレスラーは、身長をごまかしたすレスラーもいたという。

テレ朝に残る真壁刀義vs棚橋弘至の試合は2000.3.10 柳井市体育館だった

当時デビュー6ケ月目の棚橋弘至は23歳、真壁刀義(伸也)は27歳だった。

当時は、旧リングネームの真壁伸也でリングに上がっていた。

ここで、見逃してはいけないのは、真壁刀義と棚橋弘至のヤングライオンスタイルでの試合が見れることだ。

※ヤングライオンスタイルとは、新日本プロレスのレスラーの若手時代をヤングライオンという。

 若手時代にリングに上がるときのコスチュームは黒パンツ一丁と決まっている。

 年数が経つにつれて、自身がデザイナーなどと打ち合わせしてオリジナルコスチュームに変わっていくのだ。

闘争心むき出しの両者の試合は、真壁信也がブリッジで勝利している。

真壁刀義は、普段の練習でブリッジをする上に3人を乗せて練習をしていると話している。

ブリッジは、同じ形でもきれいに見えるレスラーは少ない。

真壁刀義に加え、アントニオ猪木やSANADAのブリッジも、きれいだと言われている。

真壁刀義vs矢野通 2003.2.16両国国技館では、幻の矢野通ヤングライオンスタイルで入場!

現在の矢野通のコスチュームといえば、パンツに大きく波達などの文字が書かれている、その上にハッピを羽織っている色鮮やかなコスチュームが印象に強い。

だが、そんな矢野通にも、もちろんヤングライオン時代はあるのだ。

今回テレ朝に残っている真壁刀義との試合では、そのヤングライオンスタイルの矢野通を見ることができる。

入場してきた矢野通は、現在のような穏やかな表情ではなく、目るきが鋭い強面の矢野通だ。

矢野通自身も、この当時からすると人間が変わったと話している。

棚橋弘至vs矢野通 2005.8.4福岡国際センターに登場した矢野通の豹変ぶりにびっくり!

棚橋弘至vs矢野通の試合で入場してきた矢野通は、ヒール感丸出しといってもいい。

真壁刀義との試合から2年で、ここまで変わるのか?と思うほどの変容ぶりに、びっくりしつつも懐かしさも感じる。

いまでこそ、鮮やかなコスチュームを纏っている矢野通だか、この試合には白い番傘を差し、酒瓶を持ち歩きながらラッパ飲みをしながら入場している。

髪の毛は金髪、眉毛も金髪といった強面、コスチュームはニッカポッカに足袋というコスチュームだった。

当時の試合は30分時間切れ引き分けとなっている。

当時は、矢野通などよりも上のプロレスラーが抜けていくことが多く、自分のプロデュースをどんどん考えなければいけない時代だったそうだ。

矢野通のプロデューススタイルは、面白いし、確実にヒットする。

新日本プロレスの中でも敏腕プロデューサーという肩書をもつ矢野通の原点はこの時代があってこそだったのかもしれない。

番組内で、真壁刀義もプロデュースはこれだよと話している。

真壁刀義パイセンの知られざる一面を棚橋弘至と矢野通が語る

棚橋弘至と矢野通が発表する直前、三谷アナが真壁刀義に向かって、裏表なさそうだけど、本当は裏があるような気がすると、真壁パイセンを立てるはずが、さらっと毒を吐いている。

矢野通から新日本プロレスのレスラー全員に言いたい!と発表された真壁パイセンの知られざる一面は、「基本さえ押さえていれば怒られることはない」

もし、いま真壁パイセンに怒られているなら、自分の基本がなってないからだ。と主張している。

真壁刀義は、大枠の基本の中でなら何でもOKを出せる。が、その枠をひとたび超えたときには、「舐めてんのか?」と怒るのだという。

その奥には、プロレスは体を張っていることもあるし、技のかかり方によっては、大けがに繋がることもある。だからこそ、なめてはいけない、もっと真剣にやるということを伝えたいのではないだろうか。

なんでもそうだが、やはり基本があってこその技や試合での見せ場なのだと思う。

棚橋弘至は、練習や指導の時は厳しいが、寮の空間ではコンビニに行って何か買ってくるようにお金を渡してくれり、買ってきたスイーツを食堂で一緒に食べて笑わせてくれたというエピソードを話している。

そんな真壁刀義の知られざる一面は「アメとムチ」。

新日本プロレスに入ってから、デビューをするまでは、外出禁止が新日本プロレスの決まりであるという。

だが、この真壁刀義のお使いで寮からコンビニまでは外出ができたというのだ。

このようなところにも、真壁刀義の後輩を思う優しさが現れているように思う。

また、この時のスイーツを食堂で食べることが、現在のスイーツ真壁の原点だと思っていると、棚橋弘至は話している。

だが、外出禁止というのは練習生といえど、辛いだろう。

いまだから笑ってるけど、当時は息苦しいし、顔に表情がなかった。

それにも関わらず、リング上では感情を出せと言われ、寮では感情を抑えて、リング上で感情を出すというギャップが難しかったそうだ。

このような話は、会社員の方は、大きくうなずいてしまう人も多いかもしれない。

会社では、感情を思い切り出すことができないが、その延長で日常でも感情を出せるシーンというのはなかなか無いともいえる。

リング上で観るプロレスラーの感情をむき出しにする、体と体のぶつかり合いなどが非日常を感じさせてくれることで、プロレスに魅了される一部なのだと思う。

真壁パイセンのもう一度見たい名場面で棚橋弘至がやっかみ暴露

棚橋弘至と言えば、「愛してまーす」の言葉が有名だ。

その棚橋弘至が真壁刀義の「サンキューな」という”ツンデレマイク”をもう一度観たいシーンで上げている。

真壁刀義は、G1で優勝したときに、ファンに向かって

「お前らに本当はこんなこと言いたくない、言いたくないけどよ・・・」と言いながら「サンキューな」で締めくくったことがある。

その「サンキューな」のベビーフェイス殺しのマイクアピールにずるいーと思っているという。

真壁刀義からは、いままでヒールで、中指を立てたり、チェーンを凶器にしたりしていたレスラーが急に”やりましたー”ってバンザーイポーズをとるわけ行かないだろと、「サンキューな」の裏話を披露している。

そうなのだ、棚橋弘至も話しているが、ありがとうでもなく。ヒールでもないちょうど中間のいいところが「サンキューな」という一言だったのだ。

実際に、わたしもこのセリフを会場で聞いたが、一瞬びっくりした、が、なんとも言えない嬉しさがこみ上げたことを今でも覚えている。

矢野通が真壁刀義を裏切った瞬間

2007.10.28神戸ワールド記念ホールでは、矢野通と真壁刀義がタッグチームとして試合をしている。

この2人のタッグチームは、東京スポーツ2007年プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞を受賞している。

そのタッグチームがいきなりの矢野通からの裏切りで、場内が騒然とした。

2009.4.5両国国技館で、真壁刀義vs中邑真輔の試合で、真壁刀義の勝利が見えはじめた矢先。矢野通が助っ人を装ってリングに上がる。

椅子で中邑真輔を叩こうとしている真壁刀義の手から、椅子を取り、自分が中邑真輔を叩くというジェスチャーをしたかと思いきや、その瞬間真壁刀義の頭を椅子で叩き、裏切ったのだ。

その試合があって、2009.8.16両国国技館でのG1クライマックスの優勝決定戦での中邑真輔との試合では、真壁刀義は凶器を使ってのプロレスを封印したのだ。

そのうえで、この年のG1優勝者となった。

その時の会場は、大真壁コールが起こった。

そして、ここで棚橋弘至がずるいとやっかんでいる、「サンキューな」が飛び出した瞬間だ。

何年もプロレスを観ているが、このような企画で改めて1シーンを振り返ることで、その時の気持ちや会場の雰囲気が蘇ってくる。

そんなアーカイブを新鮮な気持ちで観ることができるのは嬉しい。

矢野通から真壁パイセンへ感謝の手紙

初めて会ったときから厳しくも優しく指導してくださった真壁パイセン

グラマラスな女性を見つけると、イイケツしてんな 目で追ってた真壁パイセン

そんな真壁パイセンのおかげでプロレスがいや、人生が楽しく彩られています

ありがとう。真壁パイセン

新日ちゃん。より

棚橋弘至から真壁パイセンへの手紙

真壁さんへ

2000年代に入り主力選手が抜け、新日本プロレスは暗黒期と呼ばれる時代になりました

集客に苦しみ、試合も盛り上がらず、へこむときもありました

そんなとき、いつも真壁さんが声をかけてくれました

俺たちで絶対なんとかしよう

俺たちでもう一度盛り上げよう

同じ気持ちでいてくれることが、どれだけ心強かったか

真壁さん、今更ながらありがとうございます

新日ちゃん。より

真壁刀義のスイーツ真壁は、スイーツの勉強をして、あくまでキャラクターとしてやっていると思っていたという三谷アナの言葉も、笑顔でかわす真壁パイセン。

最近ではリング上よりも、テレビ番組やドラマ、映画などで見かけることの方が多いが、試合の解説で登場する真壁パイセンの解説は、レスラー1人1人の特徴や、面白さ、ファンでも見えているようで見過ごしてしまう一面も話してくれる。

そういうときの一言にも、心が温かくなるような、後輩やプロレスを大切にしているんだなと感じている。

番組の最後にも、

プロレス界を応援してくれるみなさん

プロレス界を応援してくれるみなさん

これからも新日本プロレスは驀進していきますし

ものすごいプロレス、本物のプロレスを見せていきたいと思います

サンキューな

新日ちゃん。より

と締めくくっている(笑)

次回7.2放送の新日ちゃん。は久々の高橋ヒロムが登場。

不定期開催 ヒロムちゃんコーナーが放送される。

毎回、いろいろな企画や、プロレスラーの素顔が見られるバラエティ番組新日ちゃん。は、これからも見逃せないですね。

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